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2014/12/10

【サントリー天然水の森シリーズ】第4章 水源地域を守る現場の第一歩・林道づくりのコツ 路網づくりで林業と山林の未来を見出す

路網づくりで林業と山林の未来を見出す

清光林業株式会社
取締役会長
岡橋 清元 氏
1949年奈良県生まれ。
2010年林野庁の「路網・作業道」委員会の委員に就任。
2012年に第51回農林水産祭参加全国林業経営推奨行事において、農林水産大臣賞を受賞。併せて、林産部門でも「高密度路網整備による高生産・高収益の林業経営の実現」で天皇杯受賞者に選ばれた。

吉野の森に約30年かけて78,000mの路網を整備

 岡橋家は江戸中期から吉野の森で代々山林を経営し、清光林業 取締役会長の清元氏はその第17代目の当主となる。現在も吉野林業地で約1,900haの山林を所有している。岡橋氏は大学卒業後に、岐阜県の林業会社で機械化された近代林業を学んだ。1980年に大阪府の専業林家である大橋慶三郎氏に師事して、吉野の所有林で路網づくりに取り組んできた。
 「私が林業に携わり始めた1980年頃は、吉野では切り出した木材をヘリコプターで搬出するのが一般的でした。ヘリでの輸送費用は高いのですが、当時は国産材の価格が高かったので採算が取れていました。しかし、すでに当時から建物内外に木材を用いる意匠や和室といった日本家屋そのものの需要が減少し始めていました。また、良質な輸入材が安く手に入るようになり、いくら高品質の吉野材であっても、将来はコスト的に通用しなくなるのではないかという危機感を抱きました」と岡橋氏は当時を振り返る。
 そこで岡橋氏が取り組んだのが、林業の修業先で知った路網を吉野に持ち込むことであった。しかし、吉野はどの山も急峻なので、無理に道を造ろうとすると、山が崩れてしまう。ヘリでの集材が主流になったのも、急傾斜地が多すぎて林道整備が非常に困難だとされていたからだ。
 岡橋氏は「そんな折りに出会ったのが、高密度の路網づくりを実践していた大橋慶三郎先生でした。先生が造った路網を目の当たりにしたとき、『これこそ吉野に最もふさわしい作業道だ』と実感しました。そこで、すぐに先生に弟子入りして、再び路網づくりに挑戦しました。以来、少しずつではありますが、約30年をかけて、所有林に78,000mの路網を整備してきました」と取り組みの経緯を説明する。

人の顔のように山を見極める

 岡橋氏が学んだ路網づくりとは、どのようなものなのか。  「山を見て施工するだけならば、作業員に教えたらできるのですが、一番大事なのは『どのルートを通るのか』を見極めることです。大橋先生はいつも言っていましたが、『山というのは人間の顔と同じ』で、同じものがつながっていないのです。つまり、全部違うわけです。その違いを見ながら、その顔に合わせながら造れという教えです。したがって、路線の経路というのを見誤ると、どんなところでも崩壊を起こします。道を造るだけならば誰でもできますが、造った後の維持のことは全然考えないのです。そうではなくて、一旦造った道は、そのときにお金かけてもいいから、永くつぶれないようにするために、路線経路をしっかり見極めることです。大橋先生は『通れないところは通るな。通れるところを通れ。通れるところを探せ』と教えてくれました。それが大事なのです」と岡橋氏は語る。
 通れるところを探すために、人間の顔として捉える山の地形は、どのように見極めていくべきか。
 岡橋氏は「例えば、“アセビ”という木があります。この木は、土の硬い所や水気の少ない所に好んで生える植生です。こういう植物が生えている所は、結構安定しているので道は通しやすいです。こういう所をつなげていくわけです。つまり、生えている植物の種類を観察して、地盤の硬い場所を見つけ、それで道のルートを決めていくのです。そのために、私が自分の足で山の中を歩き回る必要があります」と道を探す方法について説明する。そして、道づくりの大敵についても触れる。
 「一番の強敵が水です。山に雨が降ると雨水が道に集まり、水が川の様に勢いよく流れ、道を壊してしまうのです。草木も見ますが、水が多いから危ないとか、堆積土だと灌木が生育しやすいとか、他にも地形とか、その山の履歴も確認します。何億年前からどうなったとか、海底から隆起した山だとか、火山とか色々な地学を調べます。さらに昔から呼ばれてきた『大崩れ』『さく』『井戸』など、そういう古人が森につけたあだ名も参考にします」と岡橋氏は話す。
 草木や地形やあだ名など、様々な情報を調べて、経験や知識を総動員しながらルートを決めても、施工する前には2メートル半の幅のあら道を整備して、実際に土を見てみるという。
 岡橋氏は「いくら山肌を見て、ここは大丈夫だなと思っても、実際にお腹を開けてみたら危ないところもあるのです。そうした際は、ルートの変更という勇気を持たないといけません。止めてまた戻って本線は上に上げるとか、この道はここで止めたからここで支線にしようとか、そういう勇気です。反対に、絶対に何が何でも向こうへ行かなければならないという取り組みは失敗します。公の技官が森に道を造ると難しいのはそこです。彼らは先に路線を決めて設計図を作って予算化し、入札して業者をあてます。そうした道の造り方だとルートを変えられないから、力任せになってしまいます。もしも崩壊したら、そこで予算を全部使ってしまうから、1キロの路線が500メートルで止まったりするのです」と失敗例についても触れる。
 臨機応変に柔軟に取り組む必要がある森の道づくりは、役所や公の機関による入札制度では難しい面があるのだ。
 「最近では、林野庁も柔軟になってきて、今までは3級林道規定とか勾配とかヘアピンの角度などはうるさかったのですが、今はその場その場での判断が認められています。これでだいぶ変わりました。こういう道をどんどん造っていけば、みんな山に入りやすくなるし、道が入ると山が良くなるのです」と岡橋氏は道の大切さを説く。
 吉野の森では、地形に合わせて高密度に路網を造ったことで、ヘリでなければ無理だと思われていた急斜面からの大径材も、2トントラックで搬出できるようになった。搬出経費は、ヘリによる集材の4分の1に減ったという。また路網のおかげで、必要に応じてこまめに、安全に山へ出入りできるので、作業者にとっても労働環境の改善につながっているのだ。
 「道が整備されて作業しやすくなれば、就業する若い人も増えてくるでしょう。道があると、色々な機械が入れるようになります。そうすれば、雨でも雪でも規則正しく作業ができるようになります。また、地域を活性化するのにも役に立ちます。例えば、ちょっと間伐してきのこを育てたり、山菜を収穫したりできます。地域の特色がある昔の地域の文化を呼び戻せるでしょう。そして、人が何回も山に入ると山は良くなるのです。日本の山は、人が関わっていないと駄目になります。天然林や原生林は違いますが、2000年から3000年続いてきた人の手が入った人工林だから、無責任なことはやってはいけないのです。放置して天然に戻すというのは、すごく無責任な考えです」と岡橋氏は提言する。
 そして、今後に向けた抱負を次のように語る。
 「大橋先生から学んだ路網づくりを、これからは私が教え、伝えていく番だと思っています。微力ながら最近では、路網づくりに関心を示してくれる人たちに講演や研修、実習なども行っています。そうして、若い頃の私のように、1人でも多くの人に道づくりを始めてもらいたいのです。その広がりが、吉野だけでなく、日本の林業を元気にし、山林を守っていく手立ての1つになると期待しています」

(取材:レビューマガジン社・下地孝雄/まとめ:田中 亘)
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